なぜか頼れるお父さんと言われる心理デザインカウンセラーの一水みゆきです。
こんばんは〜、ごきげんよう。
悲しいけれどわかりあえないこともある。
そんなことを感じた一水みゆきです。
理解する気がないか、そもそもその能力がないか
そもそも、親なんだからわかってくれるはず。
自分はこうなんだ、と丁寧に伝えたり。
わたしはこう思ってるんだよ、そう一生懸命説明したり。
理解してもらえないのは私の説明がダメなんだ。
何回も伝えれば…。そう思ったことがある人はたくさん
いると思います。
でも身をもって体験するんです。
何度説明しても、理解してくれない。わかってくれない。
この時感じた気持ち。
『なんでわかってくれないの?どうして?』
むなしい言葉がこころの中で響きます。
理解してほしい。親なんだから、わかってくれる、きっと。
期待というか、希望というか。
でも残念ながら、これは幻想なんです。
自分が理解できることは他人も理解できる。
自分にとっては簡単なことは他人にとっても簡単。
人はそう思いがちですが、実際はちがうんです。
もちろん中には分かってくれる人もいるし、伝え続ける
ことで理解してくれる人もいるのは間違いないです。
その場合は伝えることも意味がある。
自分もしんどくならないと思うんです。
でも私の親はそもそも理解する気がないのか。
もしくは理解する能力がない。
そんなに難しいことじゃないし、なんでこんなことが
理解できないの?わたしは愕然としました。
でもこれが現実であり、事実なんです。
じゃあどうしたらいいの?
明るいと書いてあきらめよう
明らめよう。
これだけ伝えても理解してくれない、わかってくれない。
これって自分の中の『わかってほしい』という要求。
これが難しい、と自分で悟った時。
明らめたほうがいいのかもしれません。
明るいと書いて、あきらめる。
以前ちょいまめで書いたことがあるので、参考までどうぞ。
残念ながら、同じ日本人でも言葉が通じない。
そういうこともあるんです。
何を言っても自分は被害者。かわいそうな、わたし。
違うって言ってるのに伝わらない。
わたしはやるべきことはやった。一生懸命伝え続けた。
だから、もうできることはない。この現状を認識する。
そして、わかってもらうことを要求することを辞める。
あ〜、わたしの考えは理解できないんだな。
理解する能力がないのか、する気がないのか。
そういう時は説明することも、伝えることもしなくていい。
それをしても疲れるし、悲しくなるだけ。
ただ、わたしがわたしのことを理解してあげればそれでいい。
わかってもらえなくても、いい。
潔く、わかってよ論争から身を引いて、撤退する。
そりゃ〜、親だからわかってほしいですよね。
わかってくれるだろうと思ってしまいますよね。
でもその思いが自分を苦しめるんだとしたら。
その思いを、気持ちを手放しましょう。
わたしはやるだけやった。
だからもう、しょーがないやって。
たぶん、キーになるのがわたしはやるだけのことはやった。
このやりきった感。
後悔というのはもっとやれたんじゃないか?
自分はもっと努力できたんじゃないか?という気持ち。
とはいえ相手が自分の気持ちを理解する、というのは
相手の課題。自分の課題ではないんです。
だから自分ができることをしたら、あとは相手に任せるしかない。
その結果がどうあれ、あなたは一生懸命頑張ったんです。
だから、もうわかってほしい、を手放しましょう。
自分のことを自分がわかってあげられればいい。
だから、わたしあきらめよう〜!
これを読んでるあなたも、あきらめよう!(笑)
大丈夫。きっとわかる人はわかる。
頑張ったねって。
お疲れ様。
さよなら さよなら さよなら。
また明日。
一水みゆきでした。
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