なぜか頼れるお父さんと言われる心理デザインカウンセラーの一水みゆきです。
最近ありがたくも、褒められることが増えてきた一水みゆきです。
ちょっと前まで『え〜、そうかなぁ?』とか、『おぉぉぉぉぉぉ〜、さぶいぼでるぅぅぅ』
※さぶいぼとは鳥肌が立つ、の鳥肌の意味。
と思って受け取れませんでした。
でも何故か仕事だと受け取れる。『デザインが良いから受注できました!』と言われると
そうやろー、そうやろー、と満面の笑みで受け取れるのです(笑)この違いはなんだろう…。
まぁ仕事にはそこそこ自信があるからなのかも知れないとも思います。
ただ、最近心境の変化があって褒めてもらえると、褒められたこと自体が嬉しくて
にっこり笑顔で『ありがとう』が言えるようになりました。
褒めてもらったこと自体が嬉しくて、こころからありがたいなぁと思えたんです。良い変化だ〜。
相変わらず言われた言葉自体を受け取れてるかどうかはわからないですが(笑)
ただ、それでも良いんじゃないかなぁと思うんですよね。受け取れなくても。
そもそも褒め言葉を受け取らなければならないって思ってる時点で
自分をガチガチに縛ってるってこと。
それってせっかく褒めてもらったのに『受け取らなきゃ』と思ってる時点で、しんどいですよね。
せっかく褒めてもらったのに。
だから、褒めてくれた好意自体をありがとう♥って思って、伝える。
でもそれを受け取るかどうかはわたし次第。それはわたしが決めること。
それは相手にも言えることで…。わたしが褒めたことを相手が受け取れなくても別に良いよね?って。
受け取らなくても失礼だ!プンプン、とか怒らないし。あー、受け取れてないんだ、ふふっ。
ただそれだけ。だって褒め言葉を受け取るのも、受け取らないのも相手が決めること。
そもそも褒めて受け取ってもらおうって、思ってること自体が相手をコントロールしようとしてるってこと。
前回の根元裕幸師匠のお弟子講座で受け取れない人に受け取ってもらうには?という質問をした時
受け取らせようとすること自体がコントロールですって言われて、“アチャー”って思ったのでした(笑)
あとは最近わたしは繊細とか、人をよく見てる、とか色々言われるのですが、わたし自身は
そうかなぁ?と思ってるんです。でもわたしが思ってるわたし。他の人から見たわたし。
どっちも違って当たり前だし、どっちのわたしもわたし、なんですよね。
自分が思う“わたし”他の人が思う“わたし”どっちも正解で、どっちもわたし。
だから、そっかー。他の人から見た“わたし”はそうなんだね、って認識する。
それで良いんじゃない?と思う今日この頃。
根本裕幸師匠のお弟子の宿題で、お弟子同士でセッションをするってお題がありまして。
その時意図せずにも相手を褒めちぎったり、褒めちぎられたりするんです。
お互い見てみると、見事になんか受け取れてないんですよね(笑)
最近はそれも面白くて、それはそれで良いかぁとも思うんですが。
そもそも日本人って褒められることに慣れてない気がするんですよね。
子供を褒めないで、むしろうちの子なんて〜って謙遜する人が今でも多い。
子供の良いところを褒めちぎるより、謙遜する方が良い。
自分の子がいかにいい子で素敵な子か、周りの人に話すことはタブーのようで。
そりゃそんな幼少期を過ごしてたら。ましてや大人になってから褒められる。
慣れてないし、ほんとに?と思っちゃうのもしょうがないよなぁ…と思ったのでした。
そもそも日本人の子供って他国に比べて自己肯定感めっちゃ低い。それって謙遜の文化と、
子供を褒めないで育てる。そのことが影響してるのかもしれないなぁ、と。
自分や、周りの人が受け取らないことをみて、そこまで考えてしまいました(笑)
せめて、自分の子供だけでも褒めて褒めて、ただ存在そのものを愛して。
自己肯定感の高い大人に成長してくれるように。せめてもの自分にできることをしよう。
さよなら さよなら さよなら。 また明日。
一水みゆきでした。
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