なぜか頼れるお父さんと言われる心理デザインカウンセラーの一水みゆきです。
みなさま急に寒くなりましたね。
少しリバウンドしたので体重を戻そうとしていたはずなのに、何故か体重が増えて首をかしげている一水みゆきです、こんばんは。
ネガティブな感情についての講座をやると言ったからなのか、ネガティブな感情を真面目に感じていたら発見があったので今から晒してみまーーす!!!
ネガティブな感情を感じると、こんなにいいことあるよ!というもりだくさんな内容になっております!?
結構ネガティブなので、閲覧注意ね!!
わたしカウンセラー以外も講師やってまして、今年はじめに奮発して大金払ってコンサル受けたんですよ。あと半年継続カウンセリング受けました。
ところがどっこい【結果】が出なかったんです。(結果ってどんな?というツッコミは今回はなしでおねしゃす)
そして頑張りすぎて燃え尽きたわけですが、自分の“きもち”を振り返ってみるとこんなのが出てきたんですね。
「言われた通りにやったのに、ぜんぜん結果出ないじゃん!」
「半年も継続カウンセリング受けたのに、楽にはなったけど結局結果出てないじゃん!」
と。すげぇ他人軸。(先に言い訳だけしておきますが、結果が出ないのはわたしのマインドの問題なので相手のせいだとは思ってないです。)
でもこれ否定してたら始まらないので、ひたすら受け入れて感情を出してみたんですね。
そしたら出てきたのが「どうせ頑張ったって結果出ないし」でした。
あ〜、またこれ?このパターンほんま多いな…。そう思いながらまた別件でモヤモヤすることがあり吐き出しましたらね。
「どうせわたし集客したって人が来ないし」という、頑張ったって結果出ないしというマインドが素晴らしく生かされたきもちが出てきたんです。
他の人にはたくさんくるのに、わたしの講座にはいつも人が来ない。(いや、きてない訳とちゃうんやけどね。)
そもそもわたしは昔から人に嫌われてたし、変な子だし、だから誘っても他の人には行くのにわたしのところには来ないんだ。
こんなに頑張っても結果が出ないなんて、どうせわたしは頑張ったってダメな人間。
本当は大したことないくせに、できる人みたいなフリしてイキってダサい。
なんか書いてて鬱々としてきたわ。そんな気持ちがもくもくと雲のように湧き出てきました。
後から見返すと、もはやツッコミどころが満載なんですが今回は割愛!
そこが目的じゃないし、違うよね?だって〇〇じゃん?ないばかり見てるから、あるをみようよ!
と言ったところで頭ではわかるけどココロ、ハートには届かない訳です。これわたしに限らず、大概そうなんですけどね。
この感情たちに気がついた後、さらに人と比べて強烈な劣等感を抱いていることに気がついてしまい、もうしんどすぎて泣いてたんですよ。
「どうせ頑張ったって結果出ないんだから、頑張りたくない」
「わたしなんて大したことないんだ、自信がない」とね。
そう思ってるくせに、何故わたしは講師もカウンセラーもやめないのか…。謎すぎる。自分でもわからない。なんでやねん。
でももう辞める?と自分に問いかけると即答で「やめたくない」と出てくるわけです。これはどうやら本音らしい。
うーむ、なんでこんなに苦しい思いをしてわたしは頑張るんだろう?
それを色んな人にお話ししたり、自分自身に問いかけたりしてこの感情を見ていったわけです。
ムカつくことがあったら、否定せずにそれをひたすらお恨み帳に吐き出したりしてたんですね。
さすがにここには載せられないくらいの罵詈雑言なので、それはちょっとお蔵入りにしときます(笑)
ネガティブな感情を書いてるとだいたい「怒り」が出てきて、出し切るとその下の感情が出てくる。自分が書いたノートを後で見返すとよくわかります。
出てきたのはこんな言葉でした。
「だってわたしの存在価値なくなるもん」
「わたしなんて何もしなかったら忘れられる」
「だってわたしなんて誰も見てくれない」
「わたしのこと居ないふうにしないで」
「わたしここにいるのに、わたしのこと誰も見てないの」
「わたしのこと見てよ」
書いててまた泣きそうになったわ、うぅ。わたしずっとこんな気持ちを奥底に隠したまま頑張ってたんです。
そりゃ苦しいし、しんどいよね。頑張ったなぁ。悲しいよねって自分へのいたわりの気持ちが自然に出てきて。
その時思い出した光景。
学生時代、教室の隅で1人ポツンと椅子に座って本を読んでるわたし。まるで空気みたいに、いてもいなくてもどっちでもおなじような存在だった記憶。
友達がいないから、仕方がなく一緒にいた友達でもないクラスメイト。のっぺらぼうみたいに名前も顔も覚えていない。
中学時代はまだ友達がいたけど、高校生の時は本当に友達がいなくて修学旅行の記憶も全くない。
そのぐらいひとりぼっちで寂しくて、でもクールに装って「わたしは1人が好きなので、気にしてませんけど」ってええかっこしいをしていたんだろうな。
もちろん家庭でも別の意味でわたしは見てもらえなかった、そんなこころの傷がたくさんあったんです。
だから別に目立ちたいわけでもないのに、目立つようなことをしてた。だって「わたしのこと見てよ」ってこころが叫んでたから。
講師をやれば嫌でもみんなが“わたしのことを見てくれる”わけです。そう、それってなんと【自分のことを癒すために、講座をやってた】んですよ。
気がついた時頭を抱えました。マジかよ(笑)
でも「きてくれた人のために」みたいなキレイゴトより、俗人的で人間らしい理由だなって。
もちろん人の役に立ちたいって気持ちがないわけじゃない。でもそれよりも何よりも「自分のため」だった。
そっか。
だから自分を見て欲しいのに、人が来ない現実を作って「わたしの存在は透明人間なんだ」って真逆のことを証明する。
見てほしい→見てもらえない(思い込み)→見て欲しいから頑張る→見てほしい(以下無限ループ)
そう、わたしはこのネガティブな動機を原動力に頑張り続けていたんです。だからしんどくてたびたび燃え尽きる。
それに無意識にだとしても「みんなわたしのこと見てよぉ〜。ここにいるんだよぉ〜。いないことにしないでぇ〜、寂しいよぉ〜」という無言の圧力を放ってるわけです。
例えるなら番長皿屋敷のお菊さんのごとく「1人〜、2人〜、3人〜、まだまだ足りなぁ〜い」と怨念をとばしてたんですね(笑)
いや、怖いよ。そりゃこねぇよ。(何度も言うけど来てないわけじゃないのよ)
このことに気がついた時、散々泣いた後に出てきたのは
「か〜!めんどくせぇ女!」でした(笑)
散々落ち込んで感情をたくさん出したから、逆に振り切れたというか、開き直るような気持ちになれた。
「もういいや。素直になろう。わたしは自分を癒すために講座やってま〜す!」と宣言してしまえ、と(笑)
と言うわけで書いたんですね、このブログ。
もう開き直ってしまった方が楽だし、それってある意味では自分を受け入れてる状態。
自分を見て欲しい気持ちを癒すために講師をやってる自分を受け入れる=弱くてダサい自分を受け入れる。
これが自己受容であり、自己肯定感。
感情を出し切ったら怒りはシュッとなくなって、悲しみもだしたら最後は開き直る強さと、そんなどうしようもないアホな自分を受け入れられました。
だからネガティブな感情を出すことって悪くないよ!遠いようでこの積み重ねが自己肯定感の基礎を作るんだよ〜ってことなんです。
綺麗にまとまったかな(笑)
てなわけで、これを読んでるそこのあなた!
わたしの講座に来て、ぜひわたしのこころの傷を癒すお手伝いをしてください!あなたが来てくれたらわたしも癒されて、尚且つ講座の内容はしっかり作るのであなたも癒されます。
わたしを癒すお手伝いをしているという意識は、人に貢献できた、自分は役に立ったんだ!と言う気持ちにもつながるのであなたもいい気分になれるんです。
そう!まさにこれぞwin-winの関係、相互依存なんです!(え?無理やり?)
てなわけで恥ずかしいネガティブな感情をさらしまくってみました。
そんなわたしが開催するネガティブな講座、ぜひ相互依存、win-winの関係になりましょう!
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